2013年04月06日
甲子園での連投の問題
http://news.livedoor.com/article/detail/7569215/
結構しっかり分析されてますね。
確かに春夏(特に夏)の甲子園大会は、とてつもなく大きい存在ですよね。選手にとっても学校にとっても。関係者だけじゃなく周りの注目度もものすごいし。
高校のクラブ活動という見方をすれば、野球で甲子園で優勝するのと、マイナーな競技で高校総体日本一になるのと、同じ日本一なのに、まったくまったく違いますもんね。。
文中で、
>近い将来、甲子園で大活躍した投手を擁するチームの監督が、「彼は投げすぎです。彼の将来を考えて、
>決勝戦では投げさせません」と明言する姿を見てみたい。
>そのときに、日本の野球は変わるのではないか。
とありますが、かつてのPL学園は、複数の投手体制にしていたし、智弁和歌山なんかは必ず3人ぐらいは投手を用意する。過去に高塚投手という例外はあったけれどね。
まあ、それでも今回の済美高校の安楽くんのように、絶対的エースが生まれた年にあたったら、エースと心中ってことになるのかなあ。
保護者や、講演会や学校、OB・・・いろいろすていくほるだーというか、利害関係者というか、ああ。複雑だ。
メジャーやWBCの流れを考えると、球数制限、イニング制限など規制の方向に向かうのは時代の流れでしょうね。
結構しっかり分析されてますね。
確かに春夏(特に夏)の甲子園大会は、とてつもなく大きい存在ですよね。選手にとっても学校にとっても。関係者だけじゃなく周りの注目度もものすごいし。
高校のクラブ活動という見方をすれば、野球で甲子園で優勝するのと、マイナーな競技で高校総体日本一になるのと、同じ日本一なのに、まったくまったく違いますもんね。。
文中で、
>近い将来、甲子園で大活躍した投手を擁するチームの監督が、「彼は投げすぎです。彼の将来を考えて、
>決勝戦では投げさせません」と明言する姿を見てみたい。
>そのときに、日本の野球は変わるのではないか。
とありますが、かつてのPL学園は、複数の投手体制にしていたし、智弁和歌山なんかは必ず3人ぐらいは投手を用意する。過去に高塚投手という例外はあったけれどね。
まあ、それでも今回の済美高校の安楽くんのように、絶対的エースが生まれた年にあたったら、エースと心中ってことになるのかなあ。
保護者や、講演会や学校、OB・・・いろいろすていくほるだーというか、利害関係者というか、ああ。複雑だ。
メジャーやWBCの流れを考えると、球数制限、イニング制限など規制の方向に向かうのは時代の流れでしょうね。
プロ野球3時間半ルール撤廃
今季から『3時間半ルール』が撤廃され、開幕から延長12回の試合が増えています。この日の広島ー阪神戦も、延長12回に福留選手が決勝アーチ!!昨年までなら、引き分けに終わっていたところです。移籍1号が、価千金の一発となりました!!
— スポニチ野球記者さん (@SponichiYakyu) 2013年4月5日
そもそも、
野球って引き分けで終わるスポーツではない
んじゃない?? と僕は思っている。
周辺環境や観客の移動手段など
いろんな理由はあるのだろうが、
白黒はっきりさせてほしいなあ。
12回の表を終了して、
「この時点で後攻チームの負けは無くなりました」
・・・というのがなんか嫌だ。
サスペンデッドゲームにして、
日を改めてでも途中から続きをやってほしい。
2013年04月04日
ミャンマー〜(失われるアジアのふるさと)〜
【著者】乃南アサ さん
2008年に書かれたものなので、まだ軍事政権の時のもの。
といっても現在と比べて人々の暮らしは飛躍的に変わってる
わけでもなさそう。
写真もたくさんあるし、乃南アサさんの文章は読みやすい。
さすが小説家さんというべきか。
ヤンゴンをはじめ、内陸部のバガンやマンダレー、ザガイン、
そしてインレー湖などが出てくる。
ミャンマーは僕自身は行ったことはないけれど、アジアの中
では行ってみたい国のひとつになりました。
日本で活躍中のミャンマー人、黒宮ニイナさんがあまりにも
かわいらしいから、というのもちょっとある。
椎名誠さんがミャンマー紀行文みたいなのを書かれている
のも前に読んだけれど、その時から10年以上(もっとかな)
たってるはず。 でも、風景は同じような感じがした。
ただ、ミャンマービールについてだけ、今回のアサさんは
とてもうまいと褒めていたけれど、椎名さんは、ぬるくて
とても・・・と書いていた。
そこは変わったのかな。
いちばん印象的な内容を抜粋。
私たちの国も、かつてはそういう暮らしをしていた。
豊かでない時代を生きなければならない人々には、
確かに日々の苦労がつきまとい、拭いがたい疲労を
背負い続けなければならない重たさがある。
だがその代わりに、実にささやかなことでも心から
喜び、笑うことを知っていた。
家族は老人から幼児までが肩を寄せ合って助け合い、
互いに情けをかけることを忘れなかった。
今、この国の人たちは、かつての私たちと同じような
日々に加えて、さらに祈りを欠かさず、豊かな来世を
願って僧侶への功徳を行い、そして、言葉も通じない
旅行者にでも、こうして笑顔を向けることが出来ている。
彼らは知らないに違いない。実は、豊かな国で暮らす
私たちがとうに失い、今もさらに忘れ果てようとしている
多くのものを、自分たちがきちんと持ち続けていることも、
それらに包まれて暮らせることの幸福も。
もしかすると、代表的な先進国で生きている私たちなど
よりも、ある意味ではずっと豊かであることも。
2008年に書かれたものなので、まだ軍事政権の時のもの。
といっても現在と比べて人々の暮らしは飛躍的に変わってる
わけでもなさそう。
写真もたくさんあるし、乃南アサさんの文章は読みやすい。
さすが小説家さんというべきか。
ヤンゴンをはじめ、内陸部のバガンやマンダレー、ザガイン、
そしてインレー湖などが出てくる。
ミャンマーは僕自身は行ったことはないけれど、アジアの中
では行ってみたい国のひとつになりました。
日本で活躍中のミャンマー人、黒宮ニイナさんがあまりにも
かわいらしいから、というのもちょっとある。
椎名誠さんがミャンマー紀行文みたいなのを書かれている
のも前に読んだけれど、その時から10年以上(もっとかな)
たってるはず。 でも、風景は同じような感じがした。
ただ、ミャンマービールについてだけ、今回のアサさんは
とてもうまいと褒めていたけれど、椎名さんは、ぬるくて
とても・・・と書いていた。
そこは変わったのかな。
いちばん印象的な内容を抜粋。
私たちの国も、かつてはそういう暮らしをしていた。
豊かでない時代を生きなければならない人々には、
確かに日々の苦労がつきまとい、拭いがたい疲労を
背負い続けなければならない重たさがある。
だがその代わりに、実にささやかなことでも心から
喜び、笑うことを知っていた。
家族は老人から幼児までが肩を寄せ合って助け合い、
互いに情けをかけることを忘れなかった。
今、この国の人たちは、かつての私たちと同じような
日々に加えて、さらに祈りを欠かさず、豊かな来世を
願って僧侶への功徳を行い、そして、言葉も通じない
旅行者にでも、こうして笑顔を向けることが出来ている。
彼らは知らないに違いない。実は、豊かな国で暮らす
私たちがとうに失い、今もさらに忘れ果てようとしている
多くのものを、自分たちがきちんと持ち続けていることも、
それらに包まれて暮らせることの幸福も。
もしかすると、代表的な先進国で生きている私たちなど
よりも、ある意味ではずっと豊かであることも。